2024/01/28

 

 

 


 Tシャツをたくし上げ、二つの乳房を露出させる。未成熟の椿の蕾を思わせる小ぶりな乳頭は、性的な刺激に反応し、すでに固く勃起し白っぽい乳汁をだらしなく分泌していた。純子はアヤムの油でつやつやと濡れた唇を開き、一も二もなく、片方の乳輪全体を口に含んだ。歯で緩く齧りながら、唇の皮膚でしゃぶりついて、啜る。甘く、またほのかに塩っけのある味が、口腔内に生ぬるく広がった。感じやすいはじめは素足の指で床のタイルを掻きながら、血色の良い額を純子の肩に擦りつけている。
 しっとりと、汗をかきはじめた身体を反転させ、冷蔵庫の壁面に押し付ける。誰か、二階の住人が、外階段を上がりながら高い声で歌っているのが、冷却装置のモーター音に紛れてかすかに聞こえてくる。うっとりと倦怠をただよわせる彼女の、半開きの唇にキスをねだられて、純子は半身を伸び上がらせてそれに応じた。
「おっぱいの味、おいしい?」
「うん、うん、純子——」
「堪え性のない女。ほら、だらしない、腰が揺れてるわよ」
 ショートパンツから伸びた、真っ白な内腿を爪でひっ掻かれて、はじめはもう泣き出さんばかりだ。
「ごめんなさい、ねえ、ね、純子、部屋に……」
「ここでいいじゃない」
「やだあ、じゅんこ……おねがい……」
 純子は立って、調理台に残してあったプラスティックのカップを二つ、まとめて洗面台に放り出した。伸び切った麺がスープと一緒にステンレスのシンクを流れ、ストレーナーに滞留した。

 マッチを三本擦って、ようやく火が回った。灰で満たした陶器の香炉に移すとすぐに、フランキンセンスにも似た樹脂の香りが立ち上り、重く、やわらかく、狭い部屋に充満する。
 月明かりばかりがほの明るいベッドの上ではじめは、なめした麻縄に縛り付けられ、完全に自由を奪われた状態で侵略者の到来を待っている。膝を折りたたむ形で腿と脛とを固定されて、彼女はむっちりとした大きな臀部を突き出すような姿勢を取らざるを得ず、そのために、勃起した陰核や空気刺激にさえ過敏に反応して泣き濡れる性感帯なんかも、純子からつまびらかに見てとれた。嫌、痛い、恥ずかしい、そうした彼女の自己申告に反して、若い身体のあらゆる部分がすでに悦に入っていると見える。事実、純子が膝でベッドに乗り上げて、スプリングの軋む音がかすかにしたばかりに、彼女の膣穴はだらしなく痙攣して、白く濁ったバルトリン腺液を分泌した。
「かわいいわよ、ねえ、はじめ、興奮しているの?」
 純子はたわむれに、哀れな奴隷に発言の自由を許した。「あんたの穴、ぐちょぐちょに濡れてる」
「わ……わかんない」
「縛られてほっとかれただけなのに。今日こそはって、期待しているのね?」
 徹底して剃毛を強要されてきた、子供のような恥骨部を指の腹で撫でる。それにも敏感に反応して彼女の穴は、ぬるぬると湿り気を帯びてくる。
「やだ、いじめないで、優しくして——」
 年々美貌の冴えわたる身体を、昂奮のために激しく震わせくねらせながら、哀願するはじめの甘え声を聞く。
「嫌? あたしにされることが、はじめは、嫌なの?」
「ん……いやじゃない、純子、大好き。でも……」
「でもはなし。イエスか、ノーかで、きいてるのよ、あたしは」
「して——純子にされたい。いっぱい、いやらしいこと……」
 薄紫色の煙の漂う暗い部屋で、女たちの性欲は壮絶に、苛烈になってゆく。洗練され純度を増してゆく。純子は彼女の股座にかがみ込んで、みじろぎひとつでくちょくちょと淫らな音を立てる陰唇に口と鼻とを近づけ、蒸れた女のにおいを肺いっぱいに吸い込んだ。拍子に唇の皮膚が陰核に触れたのではじめは、死にかけの蛙みたいに仰け反ってむせいだ。純子は、ふっくらとほどよい脂肪を蓄え、侵略者の強行を歓待する媚肉を含み、粘膜のあらゆるところでたっぷりと舐めた。溢れる蜜を吸い込み、強く吸引しながら、時おり膣襞の小さな突起を舌で弾く。中途半端な愛撫をもたらされて焦れ切った陰核は、鼻先でつついて甘やかに揶揄う。
「じゅん、う、うう、うぁ……」
「……」
「うあっ、あっ」
 ぬるぬると、口腔内に塩っぽい体液が泳ぐ。煙と、女の匂いでくらくらと、頭が回る。きたならしく交わる粘膜と粘膜。水に溺れる虫のように、無力で、無様な純子の恋人。
 いや、この場合、溺れているのは純子の方なのか?
「あうっ……い……いく、いく」
「だめ」
「むり、喋らないで、じゅんこ!」
 はじめの身体が強張って硬くなり、びく、びくと数度跳ねた。純子がゆっくりと面を上げると、はじめは髪を乱して頭を仰け反らせながら、放尿でもするみたいに潮を吹いているところだった。
「ダメって言ったでしょ」
 腫れきった陰核ごと、恥部を平手で思い切り叩くと、濡れた皮膚から飛沫が上がった。ごめんなさい、と、従順に謝罪するくぐもった声、ぐずぐずと鼻を鳴らす音。純子は無情な支配者然と身を引いて、すぎた快楽に痙攣する身体をただ見下ろした。血圧が急速に低下していくのを感じる。実際、沸るように熱くなっていた中枢から、血の気が引いているものと思われる。ベッドから身を乗り出し、白いタイルの床に開けておいた小さな飾り箱から、ダマスカス柄のレリーフを施したチタンのペーパーナイフを取り出した。はじめは、欲情しきった恥部を隠すこともできないままに身悶えていたが、ナイフが飾り箱の底を離れるかすかな音を聞いただけで、さっと顔色を変えた。
 純子が注視しているのは、はじめの、うっすらと筋肉のついた柔らかそうな腹。日に焼けない真っ白な皮膚。眼下の身体が、今度は怯えのために震え出した。
「純子……」
 煙が肺胞から血管に取り込まれ、純子の全身に回る。恋人の怯えが、ほのかな期待が、純子の官能に染みてくる。いやに冷えた首の裏の神経が、生きているという、ただそれだけで、苦痛と不安に苛まれる自らについて考える。
「はじめ、大好きよ」
「純子、じゅん、あっ!」
 ナイフの刀身に指を添え、はじめの腹に、言い訳のしようもないほど深く食い込ませた。
 刻んだ皮膚から、まもなく血が流れ出した。純子の唇はすぐにそこへやってきて新鮮な血を啜った。唇で傷口を圧迫すればするほど、温い、むず痒い、虫のように生きている体液が、純子の喉奥に噴いてきて、純子はそれを飲み下す。はじめの乳汁、バルトリン腺液、汗、そのどれより、甘い。塩辛い。辛い。苦い。愛情、性欲、憎しみ、悔恨……食道でないまぜになり、純子の孤独は束の間の癒しを得る。生きていてよかったと思う。陶然と、純子は中枢神経を自ら狂わせた。鼻歌なんか歌い出す始末だった。
「あたしたち二人で一つよね」 
 過半部が灰になったものが、香炉の中でパチンと音を立てる。
「ね? はじめ」
 もう一度、濡れ光るペーパーナイフの先端を、今度はよりへそに近い部分に切り入れた。ぬらぬらと流れ出す血を、今度は舌まで入れて貪り尽くした。ぴくぴくとひきつれを起こす腹の皮膚とは裏腹に、はじめの膣は、濁った塊を断続的に吐き出す。
「早く一つになりたいなあ、ね、はじめ、はじめもそう思う?」
「うん」
 はじめは従順に頷くが、痛みと失血のために四肢は冷えはじめ、その応答も理性によるものではないと思われた。「うん、うん」
「やだ、はじめ、一つになりたい、なりたいよお」
「うん、そばにいる、じゅんこ」
「はじめえ」
 純子はペーパーナイフを投げ捨てると、血塗れの手で、はじめの首を強くつかんだ。皮膚を絞り、気管を押しつぶし、頸骨を軋ませた。緊縛され手足を動かすこともままならないはじめは、恋人からの虐待を、涙に滲む目で見ているしかない。そのか弱い痙攣、せんかたない命の顫動。純子は急に、ひどく淋しくなってきた。

 全身は氷のように冷えている。純子は、全裸に毛布を巻き付けただけの姿で、壁にもたれてベッドに座り込んでいる自身を発見した。
 デスクから椅子を離してベッドの方へ向けたのに座り、膝を立てて、スケッチブックを抱えているのははじめだった。彼女は覇気なく脱力する純子の裸身を、鉛筆で熱心に描いているところだった。長い前髪が、額から紙面へと、麦の穂のように垂れている。柔らかく張り詰めた全身の皮膚に、縄で縛り付けたあとが赤く残っている。臍の下には、ハローキティが印刷された子ども用の絆創膏が何枚か、繋ぎ合わせるようにして貼り付けてあった。
「動いていい?」
 存外に、湿気のない声が出た。はじめは顔を上げないまま、うん、と一つ首肯する。
「もう描き終わる」
「ずっとそうしてたの?」
「うん。純子、寝るならちゃんと寝たほうがいい」
「そう……あたし寝てたのね」
「少しね」
 デスクの上の、花柄の置き時計を見て、あれから、三十分ほどだろうか、と見当をつける。喉がからからに渇いていたが、今から服を着て、下階のキッチンスペースまでミネラルウォーターを取りにいくのは億劫だ。すこしの逡巡ののち、ベッドを降りて手洗いに行き、水道水で唇を濡らすにとどめた。部屋に戻ると、はじめはすでに、鉛筆をポーチに戻しているところだった。
 開けたままのスケッチブックには、毛布を腰に纏わせた状態の女が、壁にもたれ、そっけなく目を閉じているさまが精緻に描かれていた。はじめの描く純子はいつも、天使のように清らかで美しかった。
「綺麗」
「自分でもそう思う」
 後ろから覗き込もうとする純子に気づいて、はじめが婉然と微笑した。
 無垢で美しいはじめを、純子も小説に書きたかった。だが書けない。純子の意識はいつでもぼやつき、感性は死の淵にある。有史以来生まれ、死んでいったあらゆるものが憎いのに、はじめだけがひどく愛おしい、その矛盾を受け止めきれていない。受容できなければ、書けない。道理だった。
 純子ははじめから離れてベッドに戻り、サイドテーブルの引き出しを開けた。手のひら台のガラス瓶に詰めた、夥しい量の白い錠剤、五つほど取って、水もないまま喉奥に押し込んだ。

 ラッフルズ・パティスリーでの、ウエイトレスの仕事を終え、従業員エレベーターから直接ジャカルタ市街に出る時、純子はえもいわれぬ神妙な気持ちになる。巨大なホテルビル周辺は、似たり寄ったりの観光客向け施設が多いが、有料道路の高架を潜って向こうへ渡れば、南国の猥雑で湿っぽい空気が顔面へと押し寄せてきて、確信もより強まる。観光客の目を避けるように、張り巡らされた高いコンクリートの壁、並ぶのはトタンと端材で作られた家、家、家、たまにプラスティックの椅子とテーブルを置いただけの飲食店や、手押し車の屋台、軒下にジュースの粉を大量にぶら下げた雑貨店なんかがある。ほとんど路地と言って良いほど狭い道を、人と車と、何よりオートバイが、忙しなく行き来を繰り返す。子どもがビーチボールでサッカーの真似事をし、大人の男たちはコンクリートに座り込んで、タバコを吸ったり、敬虔なものは分厚いクルアーンを暗唱していたりする。女の姿はない。そういう街並みが一キロ近く繰り返される。
 純子はノースリーブにミニスカート、素足にサンダルを引っ掛けた格好のまま、夜のジャカルタをあてもなく歩いた。東アジアの無知蒙昧な観光客をカモにしようと、時折、アロハシャツ姿の軽薄な若者が近寄ってくるが、純子が闊達なインドネシア語で応対すれば、全て承知したとばかりに引き下がる。子供を連れた雌猫に、ポテトチップスの袋に残ったかすをやる。顔見知りの飲食店の男主人が、ジュンコ、君のためにビンタン仕入れておいたんだが、どうかな、と呼んだので、今夜はそこに入ることにした。
 ほとんどオープンスペースと化した掘建小屋に、小さなカウンターテーブル、椅子が三つほど。切れかけの裸電球。純子の他には、明らかにムスリムと見られる若い友人同士が二人、おしゃべりを楽しんでいたが、女の剥き出しの素足や二の腕を見て、閉口したとばかりに黙った。純子は二人に微笑んだ。
「女の子と話すのは初めて?」
「いや」手前、眼鏡をかけた短髪の少年ががぶっきらぼうに答えた。「学校の子と、母さんと、妹」
「ふうん、じゃあまだ高校生(エスエムアー)かあ」
「おねえさんインドネシア語上手だね。コリアン?」
 奥の席に座っていた、刈り上げ頭のほうは、不審な女にもフレンドリーだ。揚げたナマズ素手でかぶりつきながら快活に訊いてくる。
「ジャパニーズ。でも、日本より、ここの方がずっと好きよ」
「住んでもう長いの?」
「五、六年くらいかな。そこのホテルで働いてるの」
 ジャパニーズか、信じらんないくらい美人だね、と刈り上げ頭が言った。純子がミニスカートの裾を軽くつまんでカーテシーの真似事をすると、目を落としそうなくらい見開いて凝視するのでおかしかった。
 カウンターの向こうで黙々と料理していた男主人が、グリーンの瓶に国旗色のラベルが貼られたビンタンビールと、ナシゴレン、それからサービスのバナナを、純子の前によこした。ナシは米、ゴレンは揚げた状態を表す形容詞、チャーハンにも似たナシゴレンのことが、純子は好きだ。電球の下でたっぷりと油を吸った米がツヤツヤしている。
「すげえ、オレ、ビールなんて初めて見たよ」
「おいあんまり馴れ合うな」
 眼鏡の方が、刈り上げのシャツの襟を掴んで諌めるも、ハイになった彼は止まらない。
「どんな味するの?」
「そうね……麦の味、土の味?って感じかな。そうおいしいものじゃないわよ」
「変なの、美味しくないのに飲んでるのかよ」
「おかしくなりたい時だって」唇についた油を親指で拭い、舐めとる。少年たちに視線をよこす。「あるのよ、女にはね。あなたたちもそうでしょ? 神さまなんていない、と、思うことはない?」
「オレは……あるよ。たまにだけどね」
「おい」
「おねえさんはおかしくなりたいの、今?」
「そうね。あなたたちが一緒にいてくれたら、もっといいと思ってるけど」
 一皿とひと瓶を片付け、「おじさん、ありがと」純子が立ち上がると、刈り上げ頭も、一緒になって椅子をひいた。彼の目が熱っぽく潤んでいるのを、純子は敏く感じ取っていたが黙殺した。無口な主人に多めの代金を渡して店を出る。スニーカーの足音が二つ、それを追ってくる。
「おねえさん、家どこ? もう遅いし、危ないからさ、オレら送ってくよ」
 純子は行き交う車からのヘッドライトに浮かび上がった少年たちの輪郭を検分した。刈り上げ頭はよく喋る。薄っぺらい身体に若い勢いを持て余している。対して、無口な眼鏡の方は、長身に分厚い筋肉を蓄えて、何かスポーツを嗜んでいるだろうことを思わせる。同級生の暴走を嗜めながらも、彼もまた確かに、薄いガラスの奥の目を純子からそらすことができないでいる。
 敬虔で無垢な二人の少年の人生に嵐を巻き起こす愉悦に、純子は知れず、喉を鳴らしていた。果たして神は審判の日、この女悪魔めを許すだろうか? ノーだ。確信を持って言える。
 タダ同然に安い地元のラブホテルに、二人まとめて連れ込んだ。刈り上げ頭は、部屋に入るや否やキスをしてきて、それも激しく舌を絡ませるようなものだったが、稚拙だった。純子の薄い胸に吸い付きながら、モノ相手にするように、単調に腰を振った。すぐにへばって水を求めた。彼が外の自販機にミネラルウォーターを買い求めて出た間に、それまで木偶の如く突っ立っていた眼鏡のほうをベッドに誘った。彼はキスも、自分に対する愛撫も固辞したが、純子の膣をよくほぐし、挿入してからも務めて緩やかに動いた。彼のものは太く、質量があって、バックでしたときにはプレスされる廃材の気分で喘いだ。刈り上げ頭が戻ってきたあと、二人のものを同時に舐めた。精と尿の入り混じった強烈な味の体液を嚥下してやった。最後にもう一度、眼鏡に抱かれて、夜明けになった。学校に行かなければならないという二人を見送り、純子はひとり、部屋に残された。
 全身、汗や精液にまみれ、癖の強い髪までが白いもので固まっている。とんだ野蛮人だと、歪んだ唇に自嘲が走る。壊れているせいでほとんど洗車機みたいな勢いのシャワーを浴び、昨日の服をそのまま着てホテルを出た。
 アンコタと呼ばれる乗合バスが通りがかるのを、大通り沿いで待っている間、フライドチキンの店に立ち寄ってチキンの詰め合わせを買った。店を出るとき、ひび割れのひどい携帯電話に着信があった。
「純子」
 低く押しこもった声は公貴のものだ。
「調子はどうだ」
「悪くはない。よくもないけど。何、生存確認?」
 誰にでもそれとわかるほどあからさまな、不機嫌な日本語で対応すると、スピーカーから特大のため息が返ってきた。
「月経前か」
「あんた、早く死ねばいいのに」
「インハイ前、お前たち三年レギュラーのメディカルチェックは俺の仕事だった。把握していてもおかしくないだろう。ああ、先々月、持たせた土産の中に養命酒を入れておいたんだ。あれはすごいぞ。おまえみたいな神経質の痼疾もちでも、飲んで一晩寝れば速攻快晴だ。試してみろ」
「そんなことを言うために電話してきたわけ? 切るわよ」
「成功したよ」
 あまりにも端的な彼の真意を、一瞬、純子は捉えかねた。すぐに、三ヶ月前、日本で彼とその妻に会ったことを思い出し、緊張はほぐれた。道の向こうから、スライドドアを開けっぱなしで走る青い小型バス、アンコタがやってくる。身をかがめ、耳にスピーカーを当てたままの格好で乗り込んだ。
「そう、よかった」
「おまえから採取した卵子は状態がよかった。無事彼女の子宮に着床して、いま一ヶ月だそうだ」 
「いくつか取ったよね、他のはどうなったの?」
「遺伝子検査の段階で、悪いが選別させてもらった。一応、培養器で保管してはいるが、このまま何事もなければ廃棄だ」
「ああ、そうなの……」
 狭い車内で、ヒジャブをつけた若い女や、多弁の子供たちにぎゅうぎゅうと圧迫されながら、純子はあの、幸薄そうな彼の妻のことを思った。かわいそうに、愛する男の子を自力で孕めないばかりか、その子宮にどこのものとも知れぬ虫の卵を産みつけられたのだ。この虫の卵は、いつしか若い夫婦の家庭に侵入し、内側から食い尽くすだろう、と、純子は予感した。破綻者の夫、夫に近づく女の影、困惑と不安の中で、膨らんでゆく腹を抱えて立ち尽くす彼女の姿が、まぶたの裏に浮かんでくるようだった。
「俺とお前の子だ。どんな怪物になるか、楽しみだな」
「公貴、あんた、それ奥さんの前で言ったら殺されるわよ」
「そうだろうな。キャリアも台無しだ。ああ、でも、彼女の怒った顔を、俺はまだ見たことがないんだよな。そう思えば……」
 ぷつんと音を立てて、通話は終了した。純子によって強制終了されたのだ。若い陰茎を受け入れたばかりの膣が、初物でもないというのに、ちくちくと痛む。
 アンコタは果てしなく不機嫌な純子を乗せて北上する。棕櫚と椰子の並木、赤と白の細長い旗の群れ、大量のオートバイ、型落ちの日本車にツヤツヤした黒いリムジン、東京ディズニーシーの、貝の城に似た形のバス停、敬礼するスディルマンの立像、噴水を一周する環状道路を抜けて、独立記念のオベリスクが彼方に見えてくる。ガソリンのベンゼン臭が、開けたドアの方から入ってきて車内に充満している。向かいの老婆は仕切りに咳き込んでいた。ゲダング・サリナというショッピングモールの前でアンコタを降り、そこからコストまでは歩いた。
 自室へ戻ると、はじめは留守にしているようだった。そういえば、何か大きな仕事を任されたと言っていたような。帰りは遅くなるだろうか。喉の渇きを覚えたので、一度開けた玄関ドアに再び鍵をかけ、キッチンスペースに向かう。
 例の古い冷蔵庫は、下の段は冷蔵室だが、上の段は冷凍庫になっている。とはいえ住民の消費スピードが早いのでほとんど使用されることはない。純子はその、冷凍庫の立て付けの悪い戸を、音を立ててこじ開けた。日本式の、蓋が青い透明タッパー、その中に、古賀公貴の精液が凍っている。

 ジャカルタを居住地と定めたとき、真っ先に問題に上がったのは言語だった。インドネシア語は、品詞の変格や複雑な区分をほとんど持たないため往々にして安易な言語といわれるが、まったくの無学だった二人には、つっかかりさえしない難解なフェータルエラーとなった。はじめは、なんとか英語の通じる友人を見つけて、彼女とのコミュニケーションを解決策として見出したが、純子にその勇気はなかった。結局、NHKワールドのユーチューブ・チャンネルを、インドネシア語で視聴することが、彼女の最適解だった。今も、日本の情勢を知ろうと思ったら、まず一番にNHKワールドをチェックしている。
 カーテンを閉め切った暗い部屋、上半身だけをベッドに投げ出した中途半端な姿勢で、携帯電話の小さな液晶を眺める。画面の中では、白のサイクルジャージを着た若い男が、忙しなく落ち着かない様子で、インタビュアーの質問に答えている。
「ええ? そうすね、やっぱ、準備不足? っつうか、みたいなのもあったんですけど、爪痕というか、結果、残せてよかったす。チームのみんなに、あざすって、言いたいとゆーか……あの、一生懸命走れたんで。はい」
 ハンドルにまきつけたバーテープのほつれを仕切りにいじり回しながら、歯切れ悪く答える彼の言葉を、通訳テロップが、「準備不足が懸念されたが、結果を残せて安心した」、単純なインドネシア語に置き換えている。スプリント後の興奮に慣れない取材への緊張が重なって、あがり症めいた振る舞いを見せる彼だが、グランツールと名高いジロ・デ・イタリアを好成績で完走した、日本人チームのホープである。三週間にも渡るジロの完走は、歴戦の欧米人選手であっても難しい。加えて、第三ステージではポイント賞を獲得し、先日も大きなニュースになっていた。派手なオレンジ色の染髪が、イタリアの強い日差しに反射して眩しい。
 そういえば、彼はよくはじめに懐いていたっけ。卒業前など、わざわざ三年の教室まで通い詰められて、はじめと二人の時間を取りたい純子はすっかり困り果てていた。日本を出るとき、純子ははじめにも連絡先の全削除を求めたが、その後、二人の親交はどうなったのだろう。……詮ないことだとかぶりを振る。見終わらないまま携帯電話の電源を落とし、ベッドから立ち上がってカーテンを開けた。
 純子のキャノンデールは、輪行袋に入れて、コスト共用の倉庫に格納してある。もう半年は様子を見ていないから、盗まれたか壊れたかしていてもおかしくない。そうでなくとも、そろそろしかるべきところに売却してしまって、生活費とスペースの足しにしようかと考えている。足が必要になっても、はじめのコラテックがあれば十分事足りるだろう。

 黒いアイバンドで目隠しをしたはじめの、ギリシャの水瓶のように健やかな身体を、狭い手洗い部屋のタイルに強く押し付ける。しみひとつない真っ白な背中には今ごろ、タイルの目の跡がくっきりと浮かび上がっていることだろう。
 何をされるかわからず、彼女は生まれたばかりの子羊のように震えている。優美な唇は強く噛み締められて、食い込んだ八重歯のために破れた皮膚からは、かすかに血が滲んでいる。それでも、
「悪いようにはしないから、怖がらないで」 
 と純子が囁くと、怖くないとばかりに、気丈に首を横に振ってみせるのだった。
 生々しく張り詰めた腿からショートパンツを抜き取ると、純子の命令の通りに下着をつけないまま過ごし、すっかり飢えた性器が露わになる。膣口はすっかり泥濘と化し、会陰から肛門までバルトリン腺液が垂れ流しになっている。唾液で濡らした指で肉襞を開くと、未だ彼女が純潔である証左に、サーモンピンクの薄い皮が純子から内部を隔てていた。純子はひとまず内部への侵略作戦からは身を引き、こんどは、重たく腫れきって痛々しいほどの陰核に狙いを定めた。
 親指の腹で先端に軽く触れる。それだけで、はじめの身体は大袈裟にびくつく。足の指が快感につっぱり、内腿全体にぶ厚い筋肉が浮き上がる。スプリンターとして、彼女はまだ自らの脚を鍛え続けているのかもしれない。
「純子、そこはっ」
「好きだもんねはじめ。クリいじめられるの」
 言いながら純子は、身をかがめ、舌の粒だった表面を使って、はじめの陰核をヌルヌルと舐めた。上がる悲鳴。視界を奪われたはじめには強すぎる刺激だったろう、止めようと伸ばされる手を、左の方へ無情にはたき伏せる。奴隷の主権者たる純子はその上、爪の先を使って、陰核包皮をあっという間に剥いてしまった。充血し、薄紅色に尖った核心を、こんどは直接ねぶり回す。
「あ、ぅあっ、じゅんこ、許して……」
 喉を引きつらせてすすり泣く、かわいそうなはじめ。アイバンドもすぐに湿ってくる。しかし彼女の腰はさらなる快楽を求めて貪欲に揺れ動き、純子の唇を仕切りに圧迫する。純子の口の中へ尖った部分を押し込もうとする。それに応えて、純子は彼女の突起を歯で軽く噛んでやった。
「ぐ、っぁあん」
 感じやすいはじめは太刀打ちすらできずに上り詰めた。純子の頭を抱き込む両肢が硬直し、弛緩したと思うと力なくタイルに投げ出された。びしょびしょと吹き出した潮で、至近距離にあった純子の顔全体が濡れる。
「ああ、今日のメインはそこじゃないのよ、はじめ。ごめんね。無駄撃ちさせちゃったわね」
「あう、あうう、うー……」
 自ら身体を折りたたみながら、はじめは不規則な呼吸を切なく繰り返す。アイバンドの縁で桃色に上気した頬が扇情的だった。
「こんなの作ったんだけど。わかるかなあ、どう?」
 健気な彼女は、純子の一言に身体を持ち上げ、首を傾げた。
 インドネシアには、サラックと呼ばれる土着の果物があって、一目見た時から純子には、それを使ってやりたいことがあった。やわらかい棘の無数にある、蛇皮のような、特徴的な模様の殻に、ニンニク片を思わせる白い果実が入っている。大きさはキウイフルーツ一個分ほど。味はヨーグルトのような、あるいは水分の少ない梨のような感じで、ほのかに甘酸っぱい。だがそれはあまり問題にならない。そのサラックを四つほど、細い紐で連結したのを、視界の不自由なはじめにさわって確かめさせた。
 はじめは最初、何のことだかさっぱりわかりませんというような顔でいたが、棘の部分をさわっているうちにみるみる青ざめ、怯えだした。
「これをね、はじめのここに入れようと思うの」
 言いながら純子が指でなぞるのは、膣の代わりに、すでに何度か開かれている肛門。
「やだ、純子、入んない!」
「大丈夫よ、ちゃんとぬるぬるにほぐすから」
「純子……!」
「嫌? はじめ、怖いの?」
 はじめが首を上下にかくかく振る。アイバンドの縁からぼろぼろと涙が零れる。
「やだ……」
「そう? おしりの穴の壁から、あんたの膣と、子宮を、ごりごり押しつぶすのよ。すっごく気持ちいいと思う。きっと癖になっちゃうわよ。ね、あたしが嘘言ったことある?」
 蚊の鳴くような声が答えた。「ない……」