XⅡ

 

 

 極東の教父が、行きずりの女と爛れた関係になって生まれた、原罪の娘。生みの親にすら持て余され、放り出されたサマリヤの異邦者。自らの出自をそのように聞かされて育った一だが、彼女は、温かい手がおさない自分を慰撫したことを、たしかなものとして覚えていた。幼いころは、苦痛と寂寞に立つことすら困難であると感じられたとき、もはや擦り切れて久しいその記憶を取り出してきては、自らを奮い立たせてきたものだった。外では雪が降っている。生まれたばかりの彼女は布に包まれて、寒さや飢えとは遠いところで、安らかに寝息を立てている。身じろぐと、伸びてきた髪の束が瞼の上にかかり、不快感を覚えるより先んじて誰かのつま先がそれを払った。夜明けの露ほどに青ざめた、血の気のない指だが、触れたところはふしぎと暖かく感じられた。
「シスター」
 心地よく閉じた瞼の皮膚に、低い声がしんしんと降りてくる。
「はじめ」
 一は、いま夢から覚めたような心地で、声のする方へ意識を浮上させた。触れる指は、夢の中の誰かのものではなく、自らもまた、生まれたばかりの赤ん坊などではなかった。外では雪が降っている。執務室は、新月の暦を迎えて、暗澹と夜の気配に満たされている。窓のそばに仮眠のためのカウチがあり、一は清潔な黒の僧服に身を包んだまま、赤いベルベットの上にしどけなく身を横たえている。その上に茫茫として黒い影が降り……一はその中に手を入れてかき混ぜるようにした。彼女には、ちょうどその場所に、ちりちりと渦巻く黒い癖毛が見えているのだった。すぐそばには、およそ魔のものとは思えないほど清廉な、若く美しい青年のおもだちも。
 寒さのあまりに白くけぶる吐息が、青年の赤い唇を掠めた。彼はそれとわからぬほどかすかに微笑した。大きく無骨な手が伸びてきて、カウチの下に垂れていた、一の脚の片方を丁寧に折りたたんだ。靴を脱がせようとしているのだと気がついて、一は押し殺した笑みを漏らす。
「早急だな」
「時間がないからな」
 放り出された木靴が、大理石の床を打って乾いた音を立てる。その隙にとばかりに、罪深い唇に、鼻先や頬へ触れられる。一も彼の本懐を心得て、首まで几帳面に留めたボタンを、焦ったく外す。肉の奥に潜り込んだ声帯を思わせる、首元のほのかな突っかかり、鎖骨、鳩尾、貧弱に浮き上がったあばら。薄い乳房。魔のものに感応して濡れる、罪深い肉体。神のために、教会のために蝕まれてきた身体は、審判のその日に穢れたものとされ、確実に地獄へと落とされるだろう。だがそれを見下ろす彼のまなざしは優しい。一の清らかな心は、霊障による痛みと、女としての期待に、よるべなく揺れる。
 彼の長い髪に包まれて、一は恒久の暗夜の中に解き放たれる。異国の香の匂いで意識はぼんやりと霞む。骨ばった指が、機能不全の乳頭を摘み、緩やかに揉み込んだ。一の身体はこれを歓待し、すぐさま、嘴から乳に似たものを分泌する。
「悪魔も、母親の乳が欲しいと思うもの?」
 赤く血の気を帯びた皮膚に、かじりつこうとする唇の、蠱惑的なことを眺めながら、一は彼に問うた。
「悪魔だって、出生の仕組みは人間と大して変わらねえよ」
「そう?」
「俺は、母親が人間だから、精神はともかく、肉の仕組みはなおさら人間に近い。乳は、こうやって吸うし」
 舌で敏感なところをくすぐられて息が詰まる。
「女だって抱く」
 すがめられた黒い目が、ぎらぎらと獣の性質を帯びている。
 悪魔祓いとしての本能が激しく警鐘する一方で、女の肉体は、陶然と彼の欲望を受容する。子宮が、その本懐の成就を期待してぐずぐずと濡れてくる。乳はとめどなく流れて彼の唇を白く汚す。一は自らの罪深さと堕落を自覚し、静かな恐慌に陥りながらも、彼のより深い進入を求めて僧服の前止めを次々に外していった。恐怖と、目が眩むほどの高揚。今まで、数えきれないほどの男に肉体を許してきたが、これほどまでに官能を激しく揺り動かされることは、なかった。それは、彼が悪魔だからかもしれない……それだけではない……彼の、上気して、匂いたつ首筋に縋り付く。
「純太」
 頸の皮膚を吸う。不完全な愛撫でも、彼は、静かに息を詰めた。
「純太……純太……」
「はじめ」
 祈るように、唇と唇を出合わせた。涙が出そうだと思ったが、泣かなかった。腕から腰から、僧服を脱ぎ落とし、青白い闇の中で裸になった。彼は、綺麗だ、と言って、散らばる傷跡や、四肢に現れた聖痕を慈しんだ。骨と皮ばかりの貧弱な脚の間に、膣穴が、卑しく湿っているのを見た。それを、指や舌で、たいそう丁重に愛でた。
「安心しろよ。お前は俺のことを愛している、のかもしれないけど、実際それは錯覚だ。極限状態で気がおかしくなってるだけだ。次に会う時は、俺は三十三の地獄の軍団の長で、お前は教会の執行者、殺し合っておしまいだ」
「純太」
「そうでなくても、悪魔憑きのお前は、俺のそばでは、長くは持たない。目が覚めたら、大司教のところに行って、全て済んだと言うがいい。俺は——」
 太い指が肉の中に入ってきて、柔らかくひろげる。
「お前を犯すことで盃を満たし、全ての悪魔の宿願を果たす」
「いいよ」
 一は言った。